ランドセル事情の異常さは、価格からも感じます。前回触れた「ランドセル屋」の窓際に飾られている商品には、8万9千円という値札がつけられていました。5年ほど前、校長在職中に「ラン活を考える会」というのを催したことがあります。その時に調べた最高値のランドセルが、30万円だったと記憶しています。私が見た8万9千円が、現在のランドセルの相場でどの辺に位置するのかはわかりませんが、カバンにこの値段というのはけっこう高価ですよね。「6年間使う物だから」という心情が、高額でも購入する理由の一つになっているのだと思います。また、良いものを長く大切に使うということもあるのでしょう。この考え方自体に何の異論はありません。むしろ、子どもにとっては大切なことだと思います。しかし、何かを買う時に「何年間使う」と決めて買うことってそうそうないですよね。まあ、高かったから長く使わなきゃと思うようなことはあったとしても、買った時に「何年」と決められるのって、とても窮屈だと思います。それでも、「高くても良いものを」と思うのは、「学校の神聖化」が理由としてあるのではないでしょうか。「レジ袋」がダメなのもこの神聖化と関連しているのだと思います。学校は神聖な場所であり、いい加減な服装や持ち物で行ってはならない。かつて、授業参観に保護者がわざわざ着物を着て学校まで出向いたこと(昭和のドラマで描かれていたように記憶しています)の名残のようなものです。学校の神聖なイメージが、ランドセルの価格を押し上げているのではないでしょうか。
では、当の子どもはランドセルにどう接しているのか。学童クラブでは、入学したての1年生は、とても大事にランドセルを扱っているそうです。置く時もそおっと置いたりして。ところが、1週間くらいするとだんだんぞんざいになってくる。それは、そうですよね。毎日扱うものですから、子どもだってそんなに気を遣っていられません。どんな高価なものだって、毎日使えば痛んできます。ボロくもなってきます。だから、ランドセルだからといって奮発するのはやめて、「正当な(真っ当な)」価格のものを選んだ方がいいと思うのです。
ランドセルを特別視しない方がよいと考える理由を、もう一つ。それは、重さ。ちょっと前に、学校の「携行品」が社会的に話題となり、学校の持ち物が見直されるようになりました。それ以来、いわゆる「置き勉」(教科書など、学校の学習に必要な物を、家に持ち帰らずに、学校において帰ること)が容認され、タブレット端末の導入もあって、子どもたちの持ち物の精選が進みました。ですが、タブレットもランドセルに入れるとそれなりの重量になります。校長在職中、「子どもが大変な思いをしていることを知ってほしい」と、私にランドセルを手渡して訴える保護者がいました。一方、「ランドセルなんてやーめた」とばかりに、軽量なリュックで来る子たちもいました。重さの問題は、子どもたちの健康にも直接影響する事柄です。「重たい」ランドセルを「無理して」背負って登校することが「絶対ではない」ということを、もっと広めていく必要があることを痛感しています。
以上が、私見を交えた昨今のランドセル事情です。ところで、AIにランドセルについて尋ねると、次のような回答が返ってきます。「ランドセルは、日本の初等教育と子どもの成長を象徴する「文化的アイコン」として扱われている」。もはや、「文化的アイコン」ですから、変えようにも変えられないのかもしれません。ですが、経済的な負担や、身体への影響だけでなく、ランドセルには重大な思想があるように思えます。それは、「みんなランドセル」。この考えが、学校を変えていくことを強く阻む要因の一つではないかと考えます。社会のスタートラインに立った時に、集団の中で悪く目立たないようにと考える心情は理解できます。しかし、ランドセルでなければならないという命題は、「同調圧力」として作用し、負の側面をもつようになります。学校がランドセルと規定している訳ではないのですから、好きな色の、好きなスタイルのバッグで登校する方が、よっぽど学校が楽しくなると思います。これは、保護者や子どもたちの側で変えられる事項なのです。登校して来る子どもたちを見ていて感じたことですが、好きなカバンで来ている子どもたちの方が、心なしか表情が明るいように思えました。遠足や社会科見学の日にリュックで来る日の子どもたちの方が楽しそう(もちろん、遠足・社会科見学自体が楽しみなのでしょうが)でした。また、次の日の持ち物が少ない時に「明日、ランドセルじゃなくてもいい?」と子どもが聞くのはお決まりになっています。子どもたちなりに、「ランドセルでなければならない」ことに窮屈さを感じていると推察できます。私の小学校入学は1970年ですが、小学校3年生でランドセルはやめて、適当なカバンで通っていました。周りにもそうしている子どもが多かったように記憶しています。約60年前の「大昔」の話ですが、それから徐々に「ランドセルの縛り」がきつくなってきたことがうかがえます。今では、立派に子どもたちを縛り付ける「道具」になっていると言えます。ランドセルがもたらす弊害は、締付けだけではありません。学校を過度に「神聖化」し、学校自体を「硬直化」させ、学校と保護者の「対立の構図」を招くことにも、一役買っていると思っています。「たかがランドセル、されどランドセル」なのです。ですから、せめて大人の向き合い方を変えたらどうでしょうか。孫のランドセルにやたらと奮発しないとか、「重いようだったら他のバックにすれば」と声を掛けるとか。保護者の側からランドセルへの呪縛を解くことで、学校も徐々に変わっていくことになるんだと思います。
「ランドセル狂想曲」は、そろそろフェードアウトにしませんか。


コメント