大哲学者の言葉(「その前半は黒板を前にして坐した、その後半は黒板を後にして立った」)に対して異議申し立てをするようで気が引けるのですが、子どもの学びを、教室という場(空間)に限定した上で、「教わる/教える」という構図だけで語るところに問題があるような気がしてなりません。子ども(児童・生徒)にとっても、教員にとっても、これはひと言でいって「窮屈」です。子ども(もっと範囲を拡大していえば学習者)が学ぶのは、もっと広いフィールドであり、学ぶスタイルも一つではないはずです。違う見方をすれば、「子どもが黒板を前にして座り、教師が黒板を背に立っている」のは、ある事柄や内容を指示・伝達する形であり、もっと言えば指示・伝達に加えて、その指示・伝達する事項に対する反論(または抵抗)を一切を認めないという、強い「管理」の形と言えると思います。今、学校に必要なのは教室という空間が管理・統制の形であることに気付き、子どもたちをその管理・統制(一言でいえば「支配」)から自由にすることなのではないかと思います。そのためには、まず教員が現在の学校が統制・管理の場であることにに気付かなければなりません。「退職の辞(その2)」で、後手につながれていたロープほどいて回るという表現をしましたが、これはまさに管理・統制から少しでも自由になるということなのです。(過激な表現に気を悪くされた方は、どうかご容赦ください。)
さて、私の教員生活の後半は、評価のあり方に疑問をもち、テストや通知表を廃止することにより、徐々に「黒板を後ろにして立つ」教員の視点から「黒板を前に座る」児童の視点へと転向し、学校というシステムに対し批判的に見るようになってきたと振り返ることができます。そうすることで、現在の学校の様々な問題点が浮き上がってきたように感じます。それらを羅列すると、以下のような感じです。
現在の学校は、…。一斉・一律で、管理的。皆同じであることを強要します。規律、統制を重んじます。視覚的には、直線的ですね。あいまいさを嫌い、白黒はっきりさせたい。何でも、二分したい。そんな雰囲気を感じます。それから、権威的で、慣例を重んじます。慣例を重んじるから、権威的なのかもしれません。いずれにしても、本質的な意味を問う機会はほとんどありませんし、本質的な意味を問う行為は嫌われます。文科省、教育委員会など、「上」からの指示は「絶対」です。対話的ではないですね。指示・伝達(命令?)の言葉が多いように思います。「やりなさい」「はやくしなさい」「やんなきゃいけないの」。それから、無駄は排除されます。効率化の権化、「コスパ」「タイパ」の総本山。何かの役に立つことが尊重され、役に立たないことは見向きもされません。勉強ができる子どもは「役に立つ」、勉強ができない子どもは「役に立たない」。カリキュラムは、平均的な子どもを想定して作られていますから、「勉強ができない=役に立たない」子どもは、必然的にマイノリティということになります。それとも関連して、やたらと「数」にこだわります。何と言っても「数値」がモノを言う。児童数、学級数、教員数…。持ち時間数なんかもその一つですね。とにかく、やたらと「数」です。数。
そして、数にこだわっていることの一つに「時数計算」というものがあります。これは、学期末や学年末に先生たちが行っている。どの教科を何時間実施したかということを、「週ごとの指導計画」(通称:週案)から弾き出す作業を言います。実は、この作業がかなり細かくて複雑で、これが先生たちのかなりの負担になっています。とにかく「複雑怪奇」。なぜこんなことに労力をかけなければならないか、「摩訶不思議」です。要するに「時数計算」は、先生の側には必要な作業なのですが、子どもの側に立ってみると「まったく」必要がないということが、はっきりと見えてくるようになりました。(どれだけ複雑か、なぜ必要ないのかは、別の機会で取り上げたいと思います。)
このように「黒板に向かって一回転」してみると(子どもの側に立ってみると)、他にも「摩訶不思議」なことがたくさんあることに気づきました。そして、諸々の気づきの中でそのエッセンスも見えてきました。それは、黒板を背にした先生の側から見ていくと、学校で行われていることの多くは、「子どもをコントロールする」ことに他ならないということです。教員と子どもの関係が、支配と被支配の関係として見えてきたと言い換えることもできます。先生たちの行いが、すべて子どもを支配しようとしているという訳ではありませんが、伝統的な教室のイメージや授業観を分析的に見ることで「支配/被支配」の関係が浮き彫りになってくるように思えます。こう考えてみると、西田幾多郎が「或教授退職の辞」で表現した「その前半は黒板を前にして坐した、その後半は黒板を後にして立った。黒板に向って一回転をなしたといえば、それで私の伝記は尽きるのである。」という一見当たり前のような表現は、なかなか奥深い真理を突いているのかなと思います。書いた本人の西田の思いには、私が述べたような考えは全くなかっただろうと思いますが。
実は、学校だよりに「退職の辞」として書き起こした時に、この西田幾多郎の文章が頭の中にありました。すでに退職した今、「番外編」としてこの文章を書いています。西田幾多郎は、度々親族に先立たれる不幸に見舞われ、その境遇から自らの思索を深めてきた哲学者でもあります。教授という職を離れるに当たり、もっとできたであろうという思いがあったのでしょう。この「或教授退職の辞」でも、その辺の心情が含蓄のあるエピソードを引き合いに出して語られ、大哲学者の重みを感じさせる締めくくりです。散々に批判的なことを申し述べた「罪滅ぼし」として、紹介させていただきます。「近来はしばしば、家庭の不幸に遇い、心身共に銷磨(しょうま)して、成すべきことも成さず、尽すべきことも尽さなかった。今日、諸君のこの厚意に対して、心窃(こころひそか)に忸怩たらざるを得ない。幼時に読んだ英語読本の中に「墓場」と題する一文があり、何の墓を見ても、よき夫、よき妻、よき子と書いてある、悪しき人々は何処に葬られているのであろうかという如きことがあったと記憶する。諸君も屍に鞭(むちう)たないという寛大の心を以て、すべての私の過去を容(ゆる)してもらいたい。」決して順風な境遇とは言えない中で、職場を去る際の言葉として、このように語れる西田幾多郎という人は、「偉大」という言葉でも足りないように思えます。最後に、その西田幾多郎の短歌から私の座右の一句を紹介して、長々と書き連ねた私の「退職の辞」を閉じさせていただきます。
「人は人 吾は吾なり とにかくに 吾行く道を 吾は行くなり」



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