『ぼくらが旅に出る理由』 〜「学び」は、旅だ!〜

学び

4月。新学期がはじまります。子どもたちは、期待に胸をふくらませて、登校してくることと思います。新しい友だち、新しい担任の先生、新しい教室、新しい教科書…これらが、子どもたちに新鮮な気分をもたらしてくれるのでしょう。春は、出会いの季節。このかけがえのない出会いを、大切にしたいものです。

さて、私は子どもたちの「学び」が、「旅」に似ていると考えています。小沢健二の傑作アルバム『LIFE』に『ぼくらが旅に出る理由』という曲があります。「ぼくらが住むこの世界では太陽がいつものぼり/喜びと悲しみが時に訪れる/遠くから届く宇宙の光 街中で続いていく暮らし/ぼくらの住むこの世界では旅に出る理由があり/誰もみな手をふってしばし別れる」。私は、この歌詞に私たちが学ぶ内容と、学び続ける理由のヒントがあるように思います。一つは、「太陽」や「宇宙の光」として示される、地球や宇宙といった「自然の崇高さ」。そしてもう一つは、その地球上で暮らす私たち人間の暮らし、「人々の営み」です。自然は美しく、そして謎に満ちている。そして、私たち人間はこの地球上で、喜んだり悲しんだり、時には悩んだりしながら暮らしている。これら、私たちを取り巻く「世界」を探究していくことが、「学び」であり、私たちが学び続ける理由もそこにあるのではないか。もし、その学びが数々の出会いにあるとしたら、それは限りなく「旅」に近いものなのだと思うのです。

村上春樹は、『ラオスにいったい何があるというんですか?』という本(紀行文集)の中で、次のように言っています。「「ラオス(なんか)にいったい何があるんですか?」というヴェトナムの人の質問に対して僕は今のところ、まだ明確な答えを持たない。僕がラオスから持ち帰ったものといえば、ささやかな土産物のほかには、いくつかの光景の記憶だけだ。でもその風景には匂いがあり、音があり、肌触りがある。そこには特別な光があり、特別な風が吹いている。何かを口にする誰かの声が耳に残っている。そのときの心の震えが思い出せる。それがただの写真とは違うところだ。それらの風景はそこにしかなかったものとして、僕の中に立体として今も残っているし、これから先もけっこう鮮やかに残り続けるだろう。」これからはじまる子どもたちの学びに、「匂い」があり、「音」があり、「肌触り」があるものとなっているでしょうか。「写真」(=教科書)で見ただけの「死んだ学び」になっていないでしょうか。子どもたちが、何かに働きかけ、そこから何かしらの手応えを得ているでしょうか。村上春樹は、続けます。「それらの風景が具体的に何かの役に立つことになるのか、ならないのか、それはまだわからない。結局のところたいした役には立たないまま、ただの思い出として終わってしまうのかもしれない。しかしそもそも、それが旅というものではないか。それが人生というものではないか。」

「学び」は、役に立つから大事だとか、役に立たないから大事ではないとか、そういうことではありません。学びが、その子どもにとって「特別な光」となっていくこと。学ぶことによって、人生を送る上での「特別な風」が吹くようになること。一人一人を支え、励ましていくものだから、学びは大事なのです。

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