ロックシンガー忌野清志郎のドキュメンタリー『愛し合ってるかい?』を観ました。この映画は、在りし日の清志郎の雄姿と、関わりの深かった人へのインタビューから構成されています。懐かしさとともに、忌野清志郎の人間像を一歩踏み込んで知ることができたと思います。
この映画を観て、印象に残ったシーンが二つあります。一つは、デビュー後しばらくして清志郎が、壁にぶち当たっていた時のエピソード。もう一つが、清志郎のトリビュートバンド「SWEET LOVER SOULS」のリハーサル場面で、サックス奏者梅津和時が発した言葉です。
一つめは映画の前半。忌野清志郎はRCサクセションでデビューするものの、1976年にリリースした3枚目のアルバム『シングル・マン』が全く売れないなど(1年後に廃盤)、かなり追い込まれていました。映画の中でも、友人の三浦友和が「清志郎は、これで終わるんじゃないかと思った」と語っています。『シングル・マン』には、名曲『スローバラード』も収録されていて、このレコードが世に受け入れられなかったダメージの大きさが想像できます。(それだけに、この映画の中では『スローバラード』が後半の盛り上がりに欠かせないものになっています。)しかしこのような状況にあっても、清志郎は屈せずに進んでいきます。1976年10月、シングル『わかってもらえるさ』を発表。ステージで歌う清志郎は、どことなく精彩を欠いているようにも見えましたが、当時の状況を知ると、この曲に宿るパワー、特に歌詞には凄みを感じます。「この歌のよさがいつかきっと君にもわかってもらえるさ/ぼくら何もまちがってない/もうすぐなんだ」。これまで数え切れないくらい聞いてきた曲ですが、このエピソードを知ってからは、今までとは違う輝きを放っていると感じるようになりました。
これは当たり前のことなのですが、未来のことは誰にもわかりません。一瞬先のことは、「未知」です。私たちは、2026年という「今」に立っているので、1976年以降のRCサクセションや忌野清志郎のその後をよく知っています。RCサクセションがその後、『雨上がりの夜空に』や『トランジスタラジオ』がヒットして、一躍スターダムにのし上がっていくことも。2009年に忌野清志郎が天国に召されたことも。しかし、1976年の時点では、RCサクセションのその後の活躍を知る人は、誰もいませんでした。勿論、清志郎自身にとっても「未知」でした。しかし、『わかってもらえるさ』には、すでにその後のブレイクを見通しているかのようにも思えます。彼は、きっと揺るぎない確信、信念をもっていたのでしょう。やがて世間に受け入れられる日が来るということを。
RCサクセションは、この時期にアコースティック楽器中心の「フォーク」から、ドラムスを加えたエレクトリック楽器中心の「ロック」バンドへと、大きく編成を変えています。清志郎は、その後盟友となる仲井戸麗市をメンバーとして加えるなど、理想とする形に近づけつつ、自分たちが受け入れられる時代に向けて、準備を怠ることはありませんでした。努力なくして、その後の成功はなかったでしょうが、ここまで強く信じられることは、やはり凄いことだと思います。
未来は、未知である。未知のものや、先が見通せないことは、私たちを「不安」に陥れます。周囲の人々も、きっと「そんな無謀なことはやめておけ」と言うでしょう。もっと手堅い、確実な道を進め、とも。いや、そうじゃないんだ。自分の夢を、信念を貫き通すことが大事なのだということを、『わかってもらえるさ』を歌う清志郎が教えてくれました。
夢に向けて、信念を貫き通すスピリットは、長女の百世にも受け継がれています。彼女は、消しゴムハンコ作家として、独自の作風を確立して、映画でも『世界中の人に自慢したいよ』の曲と映像のコラボレーションが一つのハイライトになっていました。アーティスティックな血筋は、活躍する舞台が異なっても、受け継がれていくのだということを目の当たりにしました。きっと、父親清志郎は、消しゴムハンコに取り組む愛娘を、暖かなまなざしで見守っていたんだろうと思います。
『まず、夢を持ったら、その“夢”を信じることから始めたほうがいいよね。本気で信じ抜くの』(忌野清志郎)


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