(「いつまで「退職の辞」を続けるんだ」とお叱りを受けそうですが、これが最後です。)
日本を代表する哲学者の西田幾多郎(1870〜1945)は、「或教授退職の辞」という文章を残しています(『西田幾多郎随筆集』(岩波文庫)所収)。「或教授」の退職の送別会(文章中では、「停年教授の慰労会」)を描写するように書かれていますが、これは西田幾多郎本人の退職に際しての回顧録です。この中に、次のような記述があります。「回顧すれば、私の生涯は極めて簡単なものであった。その前半は黒板を前にして坐した、その後半は黒板を後にして立った。黒板に向って一回転をなしたといえば、それで私の伝記は尽きるのである。」現在の石川県に生まれた西田幾多郎は、金沢の石川県専門学校(のちの第四高等学校)から、東京の帝国大学文科大学に選科生として学んだ、まさに「苦学生」でした。のちに第四高等学校教授、京都帝国大学教授を歴任し、1928(昭和3)年、京都帝国大学を停年退職します。このような経歴だったので、自らの生涯を敢えて「黒板」というモチーフで語ったのではないでしょうか。「しかし明日ストーヴに焼(く)べられる一本の草にも、それ相応の来歴があり、思出がなければならない。平凡なる私の如きものも六十年の生涯を回顧して、転た(うたた)水の流と人のいく末という如き感慨に堪えない」と語る西田の言葉には、これまでの哲学という学問に捧げてきた人生への愛惜を感じ取ることができます。
大哲学者の言葉に私のような人間のことを重ねて語るのは、大変におこがましいのですが、「黒板に向って一回転をなした」のは、西田幾多郎も私も同じです。ところで、この「前半は黒板を前に坐して、後半は黒板を後にして立った」という言葉は、現在の学校に当てはめてみると、いくつかの含みをもった表現であるように思います。一つは、「人材育成」という視点です。当たり前のことかもしれませんが、若い先生は、先生になる前には「児童・生徒」でした。みんな児童・生徒として、黒板に向かって座り、授業を受けていました。そして、先生になる日がやってくると、今度は黒板を背にして立って、教えるようになります。当たり前のことかもしれませんが(しつこいですね)、若い先生が先生になる時は、その人にとっての大きな転換点でもあるのです。最近の学校現場では、若い先生の力量が問題視されることが多いように感じます。若い先生の働きが十分ではないので、一緒に働く、経験のある先生も不調を来たすような事態もちらほら見聞きします。そんな現状に対して「どうすればよいのやら」と、管理職を含め、学校の教職員の多くが頭を抱えているようです。この課題に対して多くの先生たちは、「黒板を後にして立つ」若い先生が、先生らしく成長するようにアドバイスを送ることが最も有効であり、それが王道であると考えられているようですが、果たしてそれでよいのでしょうか。問題は、経験が浅い、若い先生の力量だけにあるのでしょうか。
それから、もう一つ気になるのが、「黒板を前にして座っている」子どもたちです。ここから思い描かれる子どもたちの姿は、とても「受け身」ですよね。先生の話を聞きもらさないようにして、授業に参加しています。背筋を伸ばして座り、先生の質問には、手を挙げて、指名されたら答える。西田幾多郎の時代は、きっと今以上に真剣な眼差しで、子どもたちはすべてが木製の机と椅子に座って授業を受けていたのでしょう。いずれにしても、黒板を前にして席に座っている子どもたちは授業の「受け手」であり、黒板を後ろに立つ先生は授業の「送り手」であることを強くイメージさせます。問題は、このイメージです。具体像は人によって違うでしょうが、先生が黒板を背にして立っていて、子ども(児童・生徒)は黒板に向かって机に座っている、という学校の教室の風景(レイアウト)は全国共通なのだと思います。少なくとも、私が教員として働いていた約40年間大きく変わることはありませんでした。それどころか、西田幾多郎の時代(西田が学生として学んでいたのは、明治10年代から明治27年まで)から、ずっと変わっていないのです。児童主体の学習が声高に求められているにもかかわらず、一向にそれが実現していないのは、この教室の環境にこそ原因があるのではないかと考えます。「その前半は黒板を前にして坐した、その後半は黒板を後にして立った」という「構図」に、そもそも課題(欠陥?)があるのではないでしょうか。 〜つづく〜


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